司法試験を目指す受験生の皆様へ(4)~なぜ今これを書くのか(プロに求められる基礎能力につながる基盤をつくるために)~
1 あるべき基礎力がないと苦労する
仕事ができないプロフェッショナルは悲しいと思います。その事案を法律的に分析することができないからです。何が大切な事実なのか判別がつかず、どのような証拠が大切なのか分からないからです。そして、依頼者から何を聴きだしたらよいのか分からないからです。
そうなるともちろん、事件の本質にもまったく迫れません。事件の本質に迫れないから、弁護士として仕事をするということのほんとうの意味がわからないことになります。そして、その意味が分からなければ、クライアントから評価を得ることができないのです。これは法律事務所の内部でも同じです。先輩弁護士や経営者から、好評価を受けることができないのです。本人は、一生懸命に仕事をこなしているつもりでも、第三者からは、仕事をしていると評価されていかないのです。
2 司法の危機的な状況
私は、これはとても深刻な司法の危機であると感じています。弁護士だけではありません。おそらく裁判官も検察官も、新人の基礎力のレベルが低下していることは感じられていると思います。司法権の行使は、訴訟を介して行われています。そして、それは当事者それぞれがそれぞれの立場で、事実を見て、証拠をみて、そこから考えられるベストの主張を展開し、それを戦わせることによって成り立っています。そして、裁判官は、当事者が争点をめぐって先鋭に対立する状況をみるからこそ、その中から重要な事実を認定し、法律判断を行い、結論を導いていけるのだと思います。もし、その主張や立証がかみあっていなかったら、当事者の主張や立証の争点がぼんやりしたものであったとしたら、裁判官は、客観的な事実には迫っていけないでしょう。正確な事実認定ができないままに法律判断を行い、結論を出すことになってしまうでしょう。ボクシングにたとえれば、選手が真剣に打ち合い、スピード感あふれる攻撃、防御をしているからこそ、レフリーはその勝敗を判定できるのです。もし、ふわーとしたスローモーションのようなボクシングをされたとしたら、どちらが勝ちなのか判別がつかないと思うのです。そんな訴訟では、当該事件の本質に迫る解決ができなくなり、そして、適切な法創造ができなくなってしまいます。
事実の本質に迫ってこそ、当事者が司法権の行使を受け容れ、その決定を信頼し、裁判所の法創造機能が承認されていきます。しかし、もし本質に迫れない訴訟しかないとすれば、司法権の行使は、国民の信頼を得ることはできず、裁判所の法創造は実現できなくなってしまうのです。司法が単なる紛争解決機関として、行政機能の役割しか果すことができなくなってしまうのではないかと危惧するのです。
3 なぜ、今これを書くのか
私は、これまで10年間、この憂いを他では表現してきませんでした。私が経営する法律事務所のなかで起きてきたこと、弁護士として後進を指導するにあたって悩み続けてきたこと、そして感じてきたことは、すべて表に出さないできました。それは、基礎能力の評価というのは、ある意味で、個人の資質という側面が強く、また、私自身の指導力の問題にも起因することが大きいものだということもあり、私の悩みは、私どもが経営する法律事務所のレベルでの個人的な悩みであると考えてきたからです。しかし、実は、そうではないのではないかと思うに至りました。法律事務所における最近の弁護士育成の悩みは、もしかしたら、個人の資質等に還元できないことに起因しているのではないか、法科大学院において予想もしないが、実は「蔓延している」司法試験の勉強方法に原因があるのではないかという見解に行きついたからなのです。そして、もしそれが正しいのだとしたら、私たちが先輩弁護士として、個々の法律事務所で起こっている新人弁護士育成の悩みを本音で語らず、自分が経営する法律事務所の個人的な問題として解決をしようとしていると、この問題は解決しないばかりか、毎年毎年同じことが繰り返され、結果的に、司法権の堕落という重大な危機に足を踏み入れてしまうのではないかと考えたからなのです。そのために、私に残された時間はあまりないと感じ、この期に及んでではありますが、司法試験を目指す法科大学院生に対し、しっかりと基礎能力を付けたうえで合格してほしい、ほんとうのプロフェッショナルになってほしいという気持ちを込めてこれを書いているものです。
司法試験は、プロになるための登竜門です。実務家のほんの入り口です。だからそ、合格時の基礎能力は、たとえ未熟なものであってもよいのです。しかし、プロを目指す以上、プロに求められる基礎能力につながる基盤をつくる勉強をしてほしいのです。そしてその延長線上での司法試験合格を目指してほしいのです。しっかりとした基礎能力をつけたうえで合格を勝ち取ってほしいのです。
2018.9.17
(井口寛司)