司法試験を目指す受験生の皆様へ(3)~司法試験受験勉強を見直そう~

1 弁護士の仕事と基礎力

(1) 弁護士の職種と専門性
企業法務の専門といわれる弁護士は、株式会社の組織、資金調達、企業買収、デューデリジェンスを専門としています。海外との契約交渉等を中心として活躍している弁護士もいます。また、企業の倒産や再生を専門としている弁護士もいます。またインハウスロイヤーとして企業内で社員として働いている弁護士もいます。そして、不動産、離婚、遺産分割、交通事故などいわゆる一般民事事件など地域社会で発生する法律問題を専門としている弁護士がいます。また、地域には、大企業の法務とは異なる中小企業法務を専門としている弁護士がいます。しかし、いずれの「職種」でも、紛争解決の法務であっても、予防法務であっても、法務戦略といっても、弁護士として仕事をしていく限り、いずれにも共通した基本能力が必要なのです。端的にいえば、その基本能力とは、法律や法的な観点、基礎的な法理論などから事案を検討し、事案を分析して、法的に推論し、その思考過程を正確に表現していく力なのです。

(2) 法的判断力
この基本能力がないと、弁護士として法的な判断を示すことはできません。これはインハウスロイヤーや地方自治体で活躍する弁護士であっても同じだと思います。たとえば、会社内でプロジェクトが立ち上がるときに、その法務メリットと法務リスクを算定するよう求められます。つまり、法的問題点の指摘を依頼されるわけですが、その会社のリスクなどを判断していくにあたって、これらの基本能力がなければ、法務部が求めている回答ができないでしょう。また、契約書作成やチェックを求められても、適切に答えられないでしょう。海外案件で、外国の法律や判例を取り扱わなければならない場合は、さらに基礎的な考え方が必要になってくると思います。実は、地域で活躍する地方弁護士にとっては、この基本能力が極めて重要になってくるのです。地方の弁護士は、今のところ、専門領域に特化するところまで進化していません。大きな法律事務所では、組織力を活かしてそれぞれの弁護士がそれぞれの持ち場をこなして規模の大きな仕事をこなしていくプロジェクト型の仕事も多いのでしょうが、地域主体で活動している弁護士は、そこまで分化していません。むしろ分化しない事業体制をとってきていると言ってもよいと思います。
漁業にたとえれば、クジラのような大きな対象物を解体して料理していくのには、大勢の調理人が必要となり、調理人がそれぞれのパーツの仕事をこなしていくことになりますが、マグロ以下の対象物を解体調理するのであれば、ひとりの調理人がすべてをさばいていくことができるのに似ていると思います。プロ野球でいえば、今では先発とか、中継ぎとか、抑えなど、投手というポジションだけでも専門分野に分かれていますが、地方では、投手なら全員先発完投型、そして、野手もこなし、打率や長打も求められる。そしてさらに人気も必要。打てて守れて走れる三拍子がそろっている。そんな総合力のような力が求められているからです。基本能力に磨きをかけ、熱意とパワーと優しさを兼ね備えた人間力が総合的に求められているのです。

(3) 司法試験合格時の基礎力
ここでいう力は、あくまで、プロとして一人前になった状態での能力や資質のことを言っています。ですから、決して司法試験合格時点において、このような総合的な力までは求められていません。穴ぼこがいくらあってもいいのです。これから法曹として弁護士として、伸びていける基礎能力。もっといえば、基礎能力の基盤となるような力が備わってくれていればいいのです。その基盤さえ存在してくれていれば、司法試験合格後に司法修習を受けたり、また、OJTによる実践による研鑽を積んでいくことで、その人のやる気と考え方などが相まって、弁護士としての花を咲かせてくるようになります。素晴らしい総合能力として開花するはずなのです。

2 弁護士増加と合格者の基礎力レベル

(1) 司法制度改革の理念と合格レベル
司法制度改革によって、法曹養成の根本に法科大学院教育が設置され、法曹人口の増加を企図しました。ですから、この段階で、司法試験合格者の合格水準がある程度落ちるだろうことは必至でした。誰もが予想しましたし、私も、それはある程度は許容し覚悟していたつもりであります。司法試験の合格は、あくまで通過点です。その先に司法修習があり、実務家としての弁護士、裁判官、検察官になったあともOJTによってそれぞれの立場のプロとして育てていく過程があります。ですから、私も、司法試験合格のレベルがある程度落ちてしまうことには、特段異議を唱えるつもりもありません。そもそもプロを目指すための入口にはいったばかりの司法試験合格者に、完成度の高い基礎力を望んでもいません。

(2) あるべき合格の姿と現実の合格者
司法試験は、法科大学院を修了した学生に対して、基礎的な問題で法的な思考力や論理力を問うています。択一試験と論文試験のふたつの方法で出題し、受験生に問題を解かせます。受験生は、4日にも及ぶ試験を受験してほっとしているでしょうが、司法試験委員の先生方は、その後、おそらく長時間缶詰になって採点をしてくださっているのです。そして、その基礎能力がどの程度できているのかどうかを丁寧に採点し、最終的に合格か不合格かの決定をされます。司法試験には出題意思というものがあり、どの程度の基礎能力をつけてもらいたいかを明らかにしています。最近は、出題趣旨や採点後の感想や実感として司法試験委員の先生方の考え方が示されます。ですから、司法試験を受験しようとする側からいえば、司法試験の問題で、問われている事項を理解し、問題文を分析し、時間内に、一応、筋の通った回答を出せるレベルを目指せればそれでよいと思います。しかし、今の司法修習生や新人弁護士をみている限り、司法試験合格者の多くが、司法試験の択一試験と論文試験の問題を理解し、分析し、時間内に、一応、筋の通った回答を出せるレベル、つまり、最低限として求めている「理解度」に達していないのではないかと感じるのもまた事実なのです。そして、そのことは司法試験の合格順位とは必ずしも比例しないところに問題を感じています。試験ですから、当日、どうしても焦ってしまって失敗したということはあるでしょう。たまたま体調もよくて、うまくいったという人もいるでしょう。しかし、私が、これまで10年間にわたって感じてきたこととして、総体として、合格の順位がかならずしも基礎能力の順位になっていないのだなという感想はもっています。

3 司法試験を解いていない

入学者が減少している法科大学院で、理解力が不足している学生に対して、2年、3年という時間のなかで合格レベルの基礎能力を身につけさせていくのは至難の技かもしれません。そういった意味で、法科大学院の教育に問題があるケースもあるでしょう。しかし、司法試験が求める「理解度」に達していないのは、それだけが理由ではないと思っています。教員が非常に熱心に教育しているであろう法科大学院であってもこのことが起きているからです。これは、私の仮説にとどまりますが、司法試験の受験生たちが、もしかして、司法試験を「解いて」「合格する」というマインドになっていないからなのではないかと考えているのです。司法試験の問題を解いているという感覚はなく、その出題の事例のなかで、出題されているであろうだいたいの論点をピックアップし、規範(基準)にあてはめなければならないという思い込みのもとに、問題文から「生の事実」つまり、問題文に書いているとおりの事実をできるだけ拾い上げ、答案に見える答案を書いているだけのように思うのです。こういう解き方をされると、採点する司法試験委員の先生は、採点の際に、ほんとうにしんどい思いを味わっているのではないでしょうか。せっかく出題された素晴らしい司法試験の問題を解こうとしていない答案らしきものを何通も何通も採点させられたら、どれだけしんどいでしょうか。きっと、これでいいのかと思いながら合格を決定しているのではないでしょうか。そして、その結果、どうなっているか。司法修習を経て、弁護士となったあとも、その弁護士が、首尾よく仕事を遂行できないという事態を招いているのです。

2018.9.17
(井口寛司)

→司法試験を目指す受験生の皆様へ(4)~なぜ今これを書くのか(プロに求められる基礎能力につながる基盤をつくるために)~

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